2009年07月13日

一文無しから財を成すための5つの方法


 普段はあまりテレビを観ないのですが、都議選の開票速報でもみてみようと思ったところ、たまたまフジテレビの「エチカの鏡」が放送されていたのですが、ついつい見入ってしまいました。


 アメリカにあこがれて19歳で無一文で単身アメリカに渡った吉田潤喜氏は、現在、アメリカの定番ソース「ヨシダソース」のヨシダグループ会長兼CEOとしてヨシダグループ18社を抱えており、年商250億という成功を成し遂げています。


 アメリカではイチロー、松井秀喜、松坂大輔よりも有名な日本人だと言われ、2005年にはNewsweek誌(日本版)で「世界で最も尊敬される日本人100」に選ばれています。


吉田潤喜 オフィシャルブログ アメリカンドリーマー


★アメリカの定番ソース「ヨシダソース」のヨシダグループ会長兼CEO・吉田潤喜が語る、「一文無しから財を成すための5つの方法」

 1.思いつたらすぐ走れ!
 2.目立ってナンボ!
 3.心を下げるな!
 4.「NO」と言うな!
 5.失敗を忘れろ!




 録画していたわけではないので、放送内容全てを正確に覚えているわけではありませんが、だいたい次のようなことをおっしゃっていました。


@思いついたらすぐ走れ!
→「日本のことわざで、”石橋を叩いて渡る”というのがあるけれど、石橋叩いて渡るとか言ってるやつは、アホやで!動かないと後で後悔する。走らない限り答えが出ないんだから。」

A目立ってナンボ!
→「自分に合った目立ち方があると思う。いい意味での目立ち方は、相手に安心感を与える。」 
 着物、下駄、カウボーイハットという格好で実演販売したり、奇抜なテレビCMなど。

B心を下げるな!
→ヨシダソースの卸元の大手企業が価格引き上げなど無理難題を言ってきても一歩も引かなかった。ここで頭を下げたら、今のヨシダソースはなかったともおっしゃっていました。

C「NO」と言うな!
→まずはやってみること。

D失敗を忘れろ!
→失敗から得られるものが必ずある。失敗は繰り返さないようにしなければならないが、失敗自体はすぐ忘れること。


 そして「自分のことを愛せないとだめ。 "I love myself"。 日本人は恥ずかしがってそれが言えないんや。」ともおっしゃっていました。


  
人生も商売も、出る杭うたれてなんぼやで。 (幻冬舎アウトロー文庫)

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  • 作者: 吉田 潤喜
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2007/10
  • メディア: 文庫





 無一文で単身アメリカに渡米して成功された吉田氏の発する言葉からは本当に重みを感じました。そして我々にも当て
はまることだと感じました。


 「誰にでも成功のチャンスはある!」と吉田氏はおっしゃっていました。


 何かとても心に残りました。



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2009年06月03日

「会う人みな師匠」


 「会う人みな師匠」


 この言葉を誰が最初に言ったのか…とかは特にありませんし、作家の吉川英治がよく言っていたとも言われていますが、古くから言われているようです。


 人間関係を重視する人にとっては頭に入れておきたい言葉ですし、しばしば企業家のセミナーなどでも使われているようです。


 個人的には、この言葉が強く印象付けられたのは、アメブロをされている臼井由妃社長の著書
稼ぐ社長 潰す社長
という本を読んでからでした。


   稼ぐ社長 潰す社長.jpg  



 ブログや著書にも書かれていますが、小さい頃の臼井社長は吃音で対人恐怖症、口ベタだったそうです。しかし、人を嫌わずに話をすることを嫌がらず、人と接する機会を増やすようになり、人とのつながりを大切にすることで人脈も増え、人間関係が豊かになったとのことです。


 自分にとってもそうですが、経営者やこれから事業をはじめる方にとっても、励みになると同時に学ぶところが多いのではないかと思います。


     
稼ぐ社長 潰す社長―儲けたければ、こんな社長になりなさい! (ドリームスキル・クラブ)

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  • 作者: 臼井 由妃
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2008/11
  • メディア: 単行本


 
 
 職業や年齢、立場の上下にかかわらず、人間には誰しもどこか素晴らしいところがあり、学ぶべきところがあるでしょう。もちろん反面教師というのもありますが、見るもの、聞くもの、すべてが学ぶチャンスとして考えることができるのではないでしょうか。
 

 今日の夜は東京で士業同士の飲み会があります。アメブロガーで臼井社長の記事を書いていた方や臼井社長の5月のイベントに行かれた方にもお会いできるのではないかと思います。 


 「会う人みな師匠」…とても心に響く言葉です。


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2009年05月17日

「一生涯の目的を達成せんとするものは、いかなる固執も、障害も、目前の名利も介さず、忍ぶ、粘る、堅忍持久、終始一貫、最後の目的に突進することである。」


ひらめき「一生涯の目的を達成せんとするものは、いかなる固執も、障害も、目前の名利も介さず、忍ぶ、粘る、堅忍持久、終始一貫、最後の目的に突進することである。」

ひらめき「事業は良い計画を立て、時を活かすことにより成功する。先の先を見透かして事業を始める。気は長く持つが、行う時は気短でなければならぬ。」

ひらめき「時世の変化を洞察して時勢に一歩先んじ、よりよい製品を創造して社会の進歩発展に役立つよう心がけ、社会への貢献が大きければ大きいほど事業は繁栄する。」

ひらめき「生活向上に役立ち、人の幸福を増す製品をつくることが成功の基である」

ひらめき「一個人としていかに優秀でも、他人と仲よく働くことのできぬ人は、集団生活においていちばん厄介な人である」



 これらの言葉は、ブリヂストンの創業者 石橋正二郎氏の名言です。


 石橋氏は、1889(明治22)年、福岡県久留米市で和服の仕立物屋「志まや」の次男として生まれました。


 父が病に倒れたことから進学を断念、兄と一緒に「志まや」を継ぐことになります。しかし、この年の暮れに兄が徴兵されてしまい、17歳という若さで実質的に正二郎氏が一人で家業を経営することになります。


 若さゆえ、同業者からの嫌がらせや職人のサボタージュなども経験しましたが、それを乗り越え、古い考えに固執することなく、新しいアイデアを積極的に取り入れていきました。


 最初にやったことが、業務内容を着物の仕立てから足袋製造に転換することでした。周囲の猛反対もありましたが、足袋の裏にゴムを貼り付けるという斬新なアイデアで「地下足袋」を考案し、大成功させました。


 そしてゴムという新素材から次に目をつけたのが自動車タイヤ。当時の日本の自動車はわずか4〜5万台であり、そのタイヤはグッドイヤー、ミシュラン、ダンロップといった外国製品でした。しかし将来自動車が大量に増えると予測した石橋氏は周囲の反対を押し切り、試作品が完成した翌1931(昭和6)年には、ブリヂストンタイヤを設立、久留米に工場を建設し本格的な生産を開始します。


 石橋の石(Stone)と橋(Bridge)を逆さから読み、「ブリヂストン(BRIDGESTONE)」という社名としたことは有名です。 


 そしてナイロンタイヤやレーヨンタイヤを発売し、合成ゴムの開発に成功するなど、常に斬新なアイディアで業界トップを走り、世界からも認められます。


 17歳という年齢で、突然一人で会社の経営をしなければならなくなった苦労は想像以上のものですが、その石橋氏は自身の経験から数々の名言を残しています。


 ちなみに石橋正二郎氏は、民主党代表となった鳩山由紀夫氏、現総務大臣鳩山邦夫氏の母方の祖父(母の父)です。(父方の祖父は鳩山一郎元首相)


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2009年04月28日

「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになる」「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる」


 個人的には、あまり心理学的なことを勉強したことはないのですが、仕事で人と接する機会がある以上は知っておきたいこともたくさんあります。


 「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになる」
 「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる」
 「敵意を抱くから怒るのではなく、怒るから敵意を抱く」



 これはアメリカの心理学者であるウィリアム・ジェームズとデンマークの心理学者カール・ランゲの有名な説である「ジェームズランゲ説(情動の末梢神経説)」で ”心理的な情動の認識よりも先に生理学的反応が先に来る”という理論を象徴する言葉として知られています。


 ”たまごが先か、ニワトリが先か”的なところもあるのですが、これはもう理屈ぬきにして常に笑顔でいることを実践したほうがいいのは間違いのないところです。


 人間は、いつも順調で幸せなことばかりではないですが、悩んでくよくよして悲しい顔になったり、グチっぽくなったりすると、さらに悪いほうへ進んでいきます。


 一方で、笑顔でいる人には自然と人も寄ってきますし、怒るよりも笑っているほうが幸せは近づいてきます。


 ”笑いの効用”についてはビジネス上でも言われていますし、鏡の前で笑顔の練習をしている人も多くいると思います。 


 日本でも古くから「笑う門には福来る」と言われています。  


 当たり前といえば当たり前ですし、この記事を読んで「何を今さら…」と思う人もいるかもしれませんが、わかっていても実践できていないことというのは意外とたくさんあります。


 初対面でお会いするという場合、第一印象というのは本当に重要ですし、ここでムッとされてはやはり近づきにくくなってしまいます。


 笑顔を絶やさないことを常に実行したいと思います。


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2009年03月11日

「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビつき、だめになることのほうがずっと多い」



ひらめき「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビつき、だめになることのほうがずっと多い」

ひらめき「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」

ひらめき「人生は自分でつくるもの。“遅い”ということはない」

ひらめき「何を始めるにしても、ゼロからのスタートではない。失敗や無駄だと思われたことなどを含めて、今までの人生で学んできたことを、決して低く評価する必要はない」


 これらの名言は、ケンタッキーフライドチキンの創業者であるカーネル・サンダースの言葉です。


 カーネル・サンダースの本名は、ハーランド・デーヴィッド・サンダース(Harland David Sanders)。「カーネル」には「大佐」という意味がありますが、軍人ではなく、ケンタッキー・カーネルというケンタッキー州に貢献した人に与えられる名誉称号。

 カーネル・サンダースは1890年9月9日にアメリカのインディアナ州で生まれました。決して裕福ではなく、6歳の時に父親が亡くなったため、幼い弟とまだ赤ん坊の妹の面倒を見なければならならず、満足に学校にも通うこともできなかったそうです。

 サンダースが仕事を始めたのは15歳の時で、最初は路面電車の車掌でした。その後軍隊、消防士、保険の外交員、船乗り、タイヤ売り、ガソリンスタンドなど様々な職業を転々としながら家族を支え、やがて40歳の時にケンタッキー州のコービンで、ガソリンスタンドの一角を借りてレストランを始めました。

 フライドチキンはそこの看板料理で好評でしたが、1950年代の初め、高速道路が作られて車の流れが変わり、コービンの町にはあまり車がやってこなくなり、レストランを訪れる人が激減し、やむなく閉店することに。

 そこでサンダースは、レストランで最も評判の高かったメニューであるフライドチキンをワゴン車に積んで各地を回って売り歩く商売を始めました。

 各地のレストランで試食してもらい、気に入ってくれた店に製法を教えてチキン1本に付き5セントのマージンをもらう契約をするという、現在のフランチャイズ方式の商売を始めます。

 これがケンタッキーフライドチキンの始まりとなります。この新しい商法はうまく行きました。このビジネスが評判になり始めた頃、既にサンダースは60歳を超えていました。

 その後、サンダースはテレビ局から、このフランチャイズのオーナーとしてテレビに出て欲しいという依頼を受けます。サンダースはそういう改まった場所に出ていくにはモーニングを着て行かねば…と思いましたが、その時冬であったにもかかわらず、彼は夏用の白いモーニングしか持っていませんでした。

 無いよりは良いだろうとそれを着てTV局に行きますが、結果的にはこの時の「白いモーニングを着て老眼鏡を掛けた白髪のおじさん」というのがカーネル・サンダースのトレードマークになったとのことです。

 15歳の時から45年以上もかけてつかんだ成功ですが、これほどの苦労人だったからこそ、冒頭のような様々な名言を発することが出来たのでしょう。    

   


 カーネル・サンダースというと、日本では「カーネル・サンダースの呪い」が有名になってしまいました。

 1985年10月16日、阪神タイガースのリーグ優勝が決まった際、ファンがケンタッキーフライドチキン道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人のランディ・バース選手に見立て、店員の制止を聞かずに胴上げの末道頓堀川に投げ込んでしまいました。

 この事件以後、阪神は18年間もリーグ優勝から遠ざかったため、この事件は「カーネル・サンダースの呪い」と呼ばれるようになりました。

 そして昨日(10日)の夕方に、カーネルサンダース人形の上半身が見つかったそうです。

 昨年は13ゲーム差を逆転され、読売ジャイアンツに逆転優勝された阪神タイガースですが、真弓監督を迎え、あの1985年のような日本一を期待する阪神ファンも多いのではないでしょうか。

【記事】

 24年ぶりに帰ってきた!道頓堀川でカーネルサンダース人形発見

 昭和60年に阪神タイガースがリーグ優勝を達成したさい、ファンに大阪市中央区道頓堀の道頓堀川に投げ込まれ、行方がわかならなくなっていたケンタッキーフライドチキン道頓堀店(閉店)の「カーネルサンダース人形」とみられる人形が10日、同川左岸の新戎橋下流付近で見つかった。周辺の水辺整備事業を行っていた大阪市の工事関係者が発見したもので、この日は上半身部分だけが引き揚げられ、11日に下半身も探すという。

 市によると、10日午後4時ごろ、磁気探査作業中に障害物を見つけ、ダイバーが引き揚げたところ、カーネルサンダース人形の上半身だったことが判明。見つかったのは、投げ込まれた現場から約300メートル下流だったという。下半身部分はまだ見つかっておらず、11日に再び磁気探査を行う。市は大阪府警南署にも人形発見について通報した。

 見つかったとみられるカーネルサンダース人形は、昭和60年に阪神の21年ぶりのリーグ優勝が決まった際、人形を当時の助っ人外国人選手、ランディ・バース選手に見立てたファンが、胴上げをした末に同川に投げ込んだとされる。その後、阪神が18年間優勝から遠ざかったため、「カーネルサンダースののろい」と言われることもあり、番組で人形を捜索したテレビ局もあった。

    (3月10日 産経新聞)

【記事】

 阪神Vで道頓堀川へ、サンダース人形24年ぶり「救出」

 1985年に阪神タイガースがリーグ優勝した際、興奮したファンによって大阪・ミナミの戎橋から道頓堀川に投げ込まれ、行方不明になった「ケンタッキー・フライド・チキン」のカーネル・サンダース人形とみられる人形の上半身が10日、戎橋の西約200メートルの川底で見つかった。

 85年以降、阪神は日本一から遠ざかり、「カーネル・サンダースののろい」と言われたことも。24年ぶりの救出劇に、ファンは「今年こそ日本一を」と期待を込めた。

 大阪市によると午後4時ごろ、水深約1・5メートルの川底で障害物の除去作業中だったダイバーが、首から下が泥に埋まった人形を発見した。トレードマークの眼鏡が失われ、塗装もほぼはげていたが、当時のままの笑顔を浮かべていた。

 行方不明になった人形は高さ1・73メートル、重さ26キロ。主砲のランディー・バース選手に似ていたため、ファンに胴上げされ、川に投げ入れられた。下半身とみられるものも見つかっており、市は11日に引き揚げる。

 85年当時の監督だった野球解説者、吉田義男さんは「長年の宿題がやっと解決した。今年は呪いが解けて、真弓監督が日本シリーズで優勝してくれるのと違いますか」と喜んだ。

 現場には阪神タイガース応援団本部の顧問、国定浩一・大阪学院大教授(68)も駆け付け、「あきらめていたので信じられない。甲子園球場に安置して、今度は守護神にしてほしい」と話した。

   (3月10日 読売新聞)
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2009年01月16日

「何でも時代のせいにしてりゃぁ、そりゃぁ楽だわな」


 金融危機以降の未曾有の不況で、経済情勢、雇用情勢は厳しくなっています。今後はさらに厳しくなるということが予想され、実際にもそうなることでしょう。


 こうした時代においては、特に自分の意識、信念、心の持ち方というのが大事になってくるように思います。


 紀伊國屋書店の創業者である田辺茂一氏は、慶應義塾高等部を卒業後、大正15年(1927年)に新宿に紀伊國屋書店を創業するのですが、太平洋戦争によって大きな被害を受け、一時は書店の廃業も考えたそうです。しかし、角川書店の創立者である角川源義氏の激励により書店を再開し、昭和21年(1946年)に株式会社化、新宿に地上9階地下2階という当時としては超大型のビルを建築し、書店の大型化をすすめていったそうです。


 「何でも時代のせいにしてりゃぁ、そりゃぁ楽だわな」という言葉は、1980年代の初め、TBSラジオで小室等さんと吉田拓郎さんがパーソナリティをしていた「ヤングタウン東京」という番組の中で、
 「炭屋の片隅で始めた本屋が、日本一の本屋になるなんて、そんな時代というのはもう来ないんでしょうね?」
と小室等さんにインタビューされた時の田辺茂一氏の答えだそうです。


 「何でも時代のせいにしてりゃぁ、そりゃぁ楽だわな」


 戦時中と80年代と現在ではもちろん状況も違うのですが、いつの時代にも当てはまります。世の中、確かに時代や環境、政治が悪いという面がないとはいえませんし、努力したら全てのことが報われるわけでもありません。


 しかし、努力によって得るものはありますし、そうした中でも自分自身が強い意思をもってしっかりと前を向いていかなければならないでしょう。言い訳はいくらでも出来ますが、こうした時代だからこそ、本人の気持ちや意識が運命を左右し、成否の分かれ目となっていくのでしょう。


 運も大事ですが、”運も実力のうち”といいます。間違った努力をしなければ、運が向いてくるということもあるでしょう。 


 経営において、本来、事業や計画というのは、その時代の状況やタイミング、将来を見据えて推し進めることが必要であり、失敗を時代のせいにするのは経営者としての資質を欠くということもいえるのかもしれません。


 職場でもよく仕事をミスした人が言い訳をしたり、他人に責任を転嫁したりする姿を見かけますが、それも見苦しいですし、周りもみんなわかっていますし、見ている人はよく見ています。 


 自分一人では出来ないことももちろんありますが、自ら行動を起こさなければ、何も始まらないし、あきらめたらそこで終わりです。


 世の中そんなに甘くはありません。誰に言っているわけでもなく、自分自身に言い聞かせていることでもあります。

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2009年01月14日

不景気と人材育成

 
 「松下幸之助の経営心得帳」の中で、”不景気と人材育成”について、以下のように書かれていますが、心得として大変参考になります。


(本文)

 人間の心というのは、ふしぎなもので、調子のいい状態がしばらく続くと、どうしてもつい油断するといいますか、安易な気持ちになりがちです。それで昔から“治に居て乱を忘れず”というようなことをいって、無事平穏なときでも、困難に対する心のそなえを忘れてはならないといましめたりもしたのだと思いますが、そういういましめがあっても、やはり、順境になれてしまいがちというのが、お互い凡人のつねではないでしょうか。

 それが、ひとたび現実に困難に出会いますと、一面それに心がひるむとかおそれをいだくということもありましょうが、しかしまたなんとかこれに対処し、克服していかなくてはならないということで、順調な時以上に知恵もはたらかせ、努力もすると思うのです。そして、それだけそこに人間的な成長もうまれてくると思います。いわば、ことにあたって初めて進歩向上が生れるというわけです。

 そう考えてみますと、会社や商店における人材の育成についても、非常に調子よく諸事順調にいっている時ばかりでは、十分に人が育ちにくい面があるともいえましょう。困難な時、なかなか仕事がうまくいかないというような時にかえって従業員の成長があり、人が育つとも考えられます。

 といっても、困難な事態というものは求めて求められるものではありません。また、会社なり商店の事業が順調に進展しているのであれば、それはまことにけっこうなことですし、そこにことさらに困難をつくりだす必要もないわけです。

 その意味においては、私は、いわゆる不景気の時は、人材育成の好機ではないかと思います。もちろん、不景気自体は決して好ましいものではありませんし、また大きな見地からすれば、人間の力でなくしていくことができるものだと思うのです。けれども、今日の現実の問題としては、好景気のあとに不景気がくるのはある程度さけられません。

 そして、不景気がくれば、ものも売れない、集金もしにくいというように、お互いに困るわけです。しかし、そういう困難な事態の中で、ただ困った困った、といっているのではなく、困難だがこれは従業員に生きた教育をするチャンスだ、と積極的に考えてはどうでしょうか。

 不景気になっても、志さえしっかりと持っていれば、それは人を育て、さらには経営の体質を強化する絶好のチャンスになると思うのです。


(本文ここまで)


 「ピンチをチャンスに変える」などとよく言われますが、人は困難を乗り越えて成長していくものだということを再確認させられます。


 100年に1度と言われる未曾有の大不況ですが、企業にとっては良い人材を確保するチャンスでもあります。順調な時には忘れかけていたこと、意識していなかったことを改めて思い出し、良い人材を育てること、自分自身を見直し成長していくことについては、ある意味好機ともいえるでしょう。


 会社であれば独自性、個人であれば個性を確立し、外的要因に負けない力をつけられるようにしたいところです。


 景気もまた人の心に影響される部分がありますし、景気は循環するもの。


 不況ははやく去ってほしいものですが、心の持ち方や意識をしっかり持つことが大切です。





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2008年01月03日

カレンダーの標語


 年末にカレンダーをいくつかもらったものの、もう既に貼ってしまい、毎年カレンダーが余るということがあると思います。

 今年は年明けにカレンダーをひとつもらったのですが、それがなかなか良いカレンダー。しかしもう貼るところがない。ためになる標語が書いてある。どこか探して貼ろうと思いますが、その前にためになる言葉なので、ここで紹介したい。


【1月】 成功への道は強い意欲と遣り遂げる根気である

【2月】 良い一日は元気な挨拶と明るい笑顔から始まる

【3月】 姿勢を正しく保つことが健康の基本である

【4月】 持続のないところに仕事が出来上がるということはない

【5月】 時間厳守は信頼を得るための第一歩である

【6月】 思いやりの一言は相手の心を温かくする

【7月】 幼い頃に培った正しい生活習慣は一生の宝である

【8月】 現状に落ち着くことなく向上心を持とう

【9月】 読書は最も手近な生涯学習である

【10月】 努力なしには優れた能力を発揮することはできない

【11月】 礼儀とは人を敬い大切にする心である

【12月】 助言を謙虚に受け止める心が人間性を豊かにする



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2007年11月16日

戦国武将の名言をビジネスに生かす

 
 戦国武将に限らず、偉大な先人たちの言葉には、ビジネスにも役立つことがあります。偉大な先人たちも、傷つき、苦しみ、時にはどん底まで落ち込み、そこからもがきながら這い上がってきて戦いに勝利し、トップに立ったのです。そんな名言は、ビジネスの上でも大きな武器になります。
時代や状況によって、判断は違ってくるでしょうが、参考にされたい。


ひらめき「人を用うるの者は能否を択ぶべしなんぞ新故を論ぜん」(織田信長)

 人を使う立場にいる者は能力の有無で人を選ぶべきだ。どうして身分や経歴を考える必要があるだろうか。年功序列の弊害は、長く会社にいることや昔功績があったというだけで、現在の地位が保証されることであろう。そうなるとやがて各個人がそれぞれの能力を目一杯引き出す努力をしなくなる。能力主義は決して冷たいだけのシステムではなく、各個人の力を引き出す起爆剤としての一面もあるのだ。過去の功績よりも、現在の能力で判断しようということ。


ひらめき「金銀多分積みおくは、よき士を牢に押しこめおくにひとし」(豊臣秀吉)

 お金を山ほどため込んでおくのは、有能な人材を牢に閉じ込めておくのと同じであるということ。無駄遣いは言うまでもなくよくないが、お金は有効に使ってこそ価値が出るものであり、意味もなくため込んでおくのももったいない。社会に役立つように上手に使っていくことが大切だ。そうすれば、社会にプラスになるばかりでなく、巡り巡ってより多くのお金がまた集まってくる。お金は上手に使ってこそ価値がでるということ。


ひらめき「人を用うるには、須くその長ずる所を取るべし」(徳川家康)

 人を教育する場合、長所を伸ばすことと短所を克服することのどちらを優先させたらよいのでしょうか。
人間には誰にでも長所と短所があり、仕事の向き不向きもある。人を使うときはその得意とするところを活用すべきだ。リーダーには、部下のそうした向き不向きを的確にとらえて、部署に配置する能力が必要である。家康は、「人にはそれぞれ得意とするところがある。すべての能力が一人に備わることを求めてはならない」とも言う。組織は、多くの人がその独自の能力を分担活用することで活性化する。リーダーは人の能力を見極めることが大事ということ。
posted by 千葉は千葉でも@幕張本郷 at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 名言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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