2009年03月11日

「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビつき、だめになることのほうがずっと多い」



ひらめき「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビつき、だめになることのほうがずっと多い」

ひらめき「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」

ひらめき「人生は自分でつくるもの。“遅い”ということはない」

ひらめき「何を始めるにしても、ゼロからのスタートではない。失敗や無駄だと思われたことなどを含めて、今までの人生で学んできたことを、決して低く評価する必要はない」


 これらの名言は、ケンタッキーフライドチキンの創業者であるカーネル・サンダースの言葉です。


 カーネル・サンダースの本名は、ハーランド・デーヴィッド・サンダース(Harland David Sanders)。「カーネル」には「大佐」という意味がありますが、軍人ではなく、ケンタッキー・カーネルというケンタッキー州に貢献した人に与えられる名誉称号。

 カーネル・サンダースは1890年9月9日にアメリカのインディアナ州で生まれました。決して裕福ではなく、6歳の時に父親が亡くなったため、幼い弟とまだ赤ん坊の妹の面倒を見なければならならず、満足に学校にも通うこともできなかったそうです。

 サンダースが仕事を始めたのは15歳の時で、最初は路面電車の車掌でした。その後軍隊、消防士、保険の外交員、船乗り、タイヤ売り、ガソリンスタンドなど様々な職業を転々としながら家族を支え、やがて40歳の時にケンタッキー州のコービンで、ガソリンスタンドの一角を借りてレストランを始めました。

 フライドチキンはそこの看板料理で好評でしたが、1950年代の初め、高速道路が作られて車の流れが変わり、コービンの町にはあまり車がやってこなくなり、レストランを訪れる人が激減し、やむなく閉店することに。

 そこでサンダースは、レストランで最も評判の高かったメニューであるフライドチキンをワゴン車に積んで各地を回って売り歩く商売を始めました。

 各地のレストランで試食してもらい、気に入ってくれた店に製法を教えてチキン1本に付き5セントのマージンをもらう契約をするという、現在のフランチャイズ方式の商売を始めます。

 これがケンタッキーフライドチキンの始まりとなります。この新しい商法はうまく行きました。このビジネスが評判になり始めた頃、既にサンダースは60歳を超えていました。

 その後、サンダースはテレビ局から、このフランチャイズのオーナーとしてテレビに出て欲しいという依頼を受けます。サンダースはそういう改まった場所に出ていくにはモーニングを着て行かねば…と思いましたが、その時冬であったにもかかわらず、彼は夏用の白いモーニングしか持っていませんでした。

 無いよりは良いだろうとそれを着てTV局に行きますが、結果的にはこの時の「白いモーニングを着て老眼鏡を掛けた白髪のおじさん」というのがカーネル・サンダースのトレードマークになったとのことです。

 15歳の時から45年以上もかけてつかんだ成功ですが、これほどの苦労人だったからこそ、冒頭のような様々な名言を発することが出来たのでしょう。    

   


 カーネル・サンダースというと、日本では「カーネル・サンダースの呪い」が有名になってしまいました。

 1985年10月16日、阪神タイガースのリーグ優勝が決まった際、ファンがケンタッキーフライドチキン道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人のランディ・バース選手に見立て、店員の制止を聞かずに胴上げの末道頓堀川に投げ込んでしまいました。

 この事件以後、阪神は18年間もリーグ優勝から遠ざかったため、この事件は「カーネル・サンダースの呪い」と呼ばれるようになりました。

 そして昨日(10日)の夕方に、カーネルサンダース人形の上半身が見つかったそうです。

 昨年は13ゲーム差を逆転され、読売ジャイアンツに逆転優勝された阪神タイガースですが、真弓監督を迎え、あの1985年のような日本一を期待する阪神ファンも多いのではないでしょうか。

【記事】

 24年ぶりに帰ってきた!道頓堀川でカーネルサンダース人形発見

 昭和60年に阪神タイガースがリーグ優勝を達成したさい、ファンに大阪市中央区道頓堀の道頓堀川に投げ込まれ、行方がわかならなくなっていたケンタッキーフライドチキン道頓堀店(閉店)の「カーネルサンダース人形」とみられる人形が10日、同川左岸の新戎橋下流付近で見つかった。周辺の水辺整備事業を行っていた大阪市の工事関係者が発見したもので、この日は上半身部分だけが引き揚げられ、11日に下半身も探すという。

 市によると、10日午後4時ごろ、磁気探査作業中に障害物を見つけ、ダイバーが引き揚げたところ、カーネルサンダース人形の上半身だったことが判明。見つかったのは、投げ込まれた現場から約300メートル下流だったという。下半身部分はまだ見つかっておらず、11日に再び磁気探査を行う。市は大阪府警南署にも人形発見について通報した。

 見つかったとみられるカーネルサンダース人形は、昭和60年に阪神の21年ぶりのリーグ優勝が決まった際、人形を当時の助っ人外国人選手、ランディ・バース選手に見立てたファンが、胴上げをした末に同川に投げ込んだとされる。その後、阪神が18年間優勝から遠ざかったため、「カーネルサンダースののろい」と言われることもあり、番組で人形を捜索したテレビ局もあった。

    (3月10日 産経新聞)

【記事】

 阪神Vで道頓堀川へ、サンダース人形24年ぶり「救出」

 1985年に阪神タイガースがリーグ優勝した際、興奮したファンによって大阪・ミナミの戎橋から道頓堀川に投げ込まれ、行方不明になった「ケンタッキー・フライド・チキン」のカーネル・サンダース人形とみられる人形の上半身が10日、戎橋の西約200メートルの川底で見つかった。

 85年以降、阪神は日本一から遠ざかり、「カーネル・サンダースののろい」と言われたことも。24年ぶりの救出劇に、ファンは「今年こそ日本一を」と期待を込めた。

 大阪市によると午後4時ごろ、水深約1・5メートルの川底で障害物の除去作業中だったダイバーが、首から下が泥に埋まった人形を発見した。トレードマークの眼鏡が失われ、塗装もほぼはげていたが、当時のままの笑顔を浮かべていた。

 行方不明になった人形は高さ1・73メートル、重さ26キロ。主砲のランディー・バース選手に似ていたため、ファンに胴上げされ、川に投げ入れられた。下半身とみられるものも見つかっており、市は11日に引き揚げる。

 85年当時の監督だった野球解説者、吉田義男さんは「長年の宿題がやっと解決した。今年は呪いが解けて、真弓監督が日本シリーズで優勝してくれるのと違いますか」と喜んだ。

 現場には阪神タイガース応援団本部の顧問、国定浩一・大阪学院大教授(68)も駆け付け、「あきらめていたので信じられない。甲子園球場に安置して、今度は守護神にしてほしい」と話した。

   (3月10日 読売新聞)
posted by 千葉は千葉でも@幕張本郷 at 09:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 名言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつもブログ拝見しています。

ひさし振りにコメントします。

この言葉まさに実感しています。
若い人はピーンとこないかもしれませんが、体を楽にしているとバランス感覚が衰えきびきびした動作ができなくなります。

それと伴にやる気が衰えてきます。
昔できていた隙間時間の勉強もできなくなってきます。

ある程度の運動と忙しさは必要かもしれません。
Posted by りょうどう at 2009年03月11日 15:48
りょうどうさん、コメントありがとうございます。

適度の休みは必要でしょうが、やはり休みすぎると心身ともに良くないですし、忙しいほうが心身ともに充実するでしょう。

ひきこもりなども同じ構図なのかもしれませんね。

人間は年をとれば少しずつ衰えてくるので、しっかりと意識を持って行動したいですね。
Posted by 千葉は千葉でも@幕張本郷 at 2009年03月11日 17:10
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